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幻1925年オイスター1’st★ロレックス クッション★9金無垢ローズゴールド Cal.10 1/2

PRICE 
MODELオイスタークッション  ザファースト防水モデル Ref.1072 
MOVEMENTCal.10 1/2 
AGE1925年製造 
MATERIAL9金無垢ローズゴールド 
SIZE32mm(リューズガード含めず/含み35mm)×37mm(両側ラグの先端まで)  

SOLD OUT

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幻1925年オイスター1’st★ロレックス クッション★9金無垢ローズゴールド Cal.10 1/2のサムネイル
幻1925年オイスター1’st★ロレックス クッション★9金無垢ローズゴールド Cal.10 1/2のサムネイル
幻1925年オイスター1’st★ロレックス クッション★9金無垢ローズゴールド Cal.10 1/2のサムネイル
幻1925年オイスター1’st★ロレックス クッション★9金無垢ローズゴールド Cal.10 1/2のサムネイル
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幻1925年オイスター1’st★ロレックス クッション★9金無垢ローズゴールド Cal.10 1/2のサムネイル

 純白の光沢に輝くポーセリングという永遠という美しさを与えられたダイアルは経年とい落ち行く世界を淘汰した….どの角度から見てもその美しさは変わらず、そこにローマンナンバーをシンプルに表現することで視認性という現実の世界を見極めながら、品格の漂う大人の色気を感じるほどである。それが真っ赤な紅の色と同化することで、この世のものとは思えないほどのオーラーが辺り一面に輝きとして残像のように時の流れと共にゆっくりと輝きだし、そして消えてゆく….9金無垢というマテルアルをローズゴールドで仕立てるという精製の過程で割れやすいという特徴である技術の必要としたその技は完成された時にはより強く固くなる。コスト主義となった現代ではありえないが、今ここに完璧の姿として90年の時を語り続けた一品として存在することは間違いない。その証たるものは、スクリューバックのねじ込みをゆっくり開け、その9金無垢ローズゴールドに秘められたそのストーリーは9金無垢の375、グラスゴーの港でインポートされたFを横に二つ合い向かいに重ねたマーク、そして”f”マークは1926-49年間に金無垢の公式認定としての刻印の意味をなし、この一品の真実のストーリーが語られる。20RECORDというロレックスが培ってきた世界の称号の刻み、スクリューバックに秘められた特許ナンバーへの思いは各国で特許認定のパテントナンバーとしても深く刻んでいる。
9金無垢ローズゴールドのクッションケース、ポーセリングのダイアル、バックケースのエッジすべてほとんど損傷の無い状態、そしてストラップの付け外しが自由に出来ないハメゴロシとなるラグの曲がりも無く90年経っているとは絶対に思えないほど、当然10 1/2となるサイズのムーブメントは出歯車のあるスモセコが普通となる当時としては希少となるセンターセコンド仕様、でデカメのチラネジ、ブレゲヒゲゼンマイと昔ながらの18000振動のローピートは、日差20秒以内という信じられない精度と共に、ガンギ、アンクルを時の語らいと共に人の耳に、そして心にこの一品は90年経った今でも響かせていることは間違いない……..
最後にこの一品の誕生ストーリーをしつこいほどにご紹介してこの一品のストーリーを完結としよう。


1890年頃から戦争という世界から生み出された腕時計という世界、それ以前、女性ものの腕時計は存在したが、男性用の腕時計は戦火の中で、ポケットから取り出す手間を省く為に懐中に紐を巻いて、腕に嵌めるという自然発生的なものから誕生した。そして1900年のパリ万博でオメガが初めてWRISTWATCHという言葉を用いて時計を出品した。 それから4年後、24歳の若き青年”ハンス・ウィルドルフ”が、エグラー社(現ロレックス ヒエンヌ社)とのムーブメントの惚れ1905年にイギリスで義弟のアルフレットデイビスと一緒に”W&D社”を立ち上げた。その後、第一次世界大戦勃発により、ドイツ人名であるハンスは急遽、敵国であるイギリスであるが為に”ロレックス社”を1915年に立ち上げた。それは最初に1915年7月に認可された特許ナンバー”70926”(塵を遮断するケース)から見るように砂ぼこりの多い当時の時代、塵から守る時計の必要性から始まり、何を人は求めるのか、そしてその結果売れるものとは何かを求め、確固たる自信の下で販売していった。 それは1922年、特許ナンバー”197208”のリューズのついた本体をアウターのねじ込みケースで覆い隠すという防水ケースへと発展し、1926年6月10月18日防ケース特許ナンバー”120851”、ねじ込みリューズ初の特許ナンバー”120848”により、ハンスは確固たる自信の中である決意を下した.
『ドーバー海峡をこの腕時計をつけて泳がせよう』
それは1927年10月7日、イギリスロンドンの英国紙”デイリーメイル”の速記者であるメルセデス・グライツ嬢がドーバー海峡を渡るという女性では世界で2人目の快挙となった。そしてそれは、ドーバー海峡を渡ったという事実よりもその腕に嵌められていたのがロレックス社の時計であったことに世界は驚愕した。ハンスが、ここまでの筋書きを予測していたかどうかは、現在では謎であるが、ハンスが、グライツ嬢がわたって一か月後、11月24日付けの”デイリーメイル”の第一面をロレックスの腕時計が全面広告として飾った前代未聞の出来事は、当時のロンドン市民を驚かせた。そしてその裏には4万スイスフラン”1600ポンド”(当時で日本円にして270万円)の膨大な経費がかかったことは事実であり、ドーバー海峡を渡る以前から売れるまでの筋書きが用意されていたのかもしれない。 そんなロマンを感じるストーリーを現実とする逸品が、今回ご紹介する逸品である。”リファレンスは2081”。実際ドーバー海峡を渡ったのはオクタゴンのケースモデルであるが、1926年にロレックスが初めてとなるねじ込み式の防水スクリューバックケースを採用したのが、メルセデス・グライツ嬢がはめたオクタゴンと今回のクッションケースの2種であった。特に今回の逸品”2081”はクッションケースで横径が32mm、竜頭を入れると35mmとなる為、当時としてはかなり大きく感じられる。販売した当時の価格で、今回のステンレスのモデルでアメリカ向けとしてのチラシに$72とある。ちなみに9金無垢が$130,18金無垢が$180となる。又、ロレックスは昔からオプションとして姿勢差調整、自社におけるクロノメーターが許された時代に公式クロノメーターの検定審査を通すことなどを別料金としてオプション設定していた。当時は高級仕上げとして$47オプショナルプライスとした。