
With Rolex Official Gurantee Card ” UAE MILITALY” White Letter 1970’s
ロレックスオフィシャル保証カード “公式アラブ首長国連邦ミリタリーモデル”ホワイトレター 1970年
サブマリーナ R e f . 5 5 1 2


テキスト951年に提案された“国際地球観測年”は世界規模での高層気象、地磁気、電離層など、地球の物理学的調査査を目的とした国際科学研究プロジェクトとして57年7月1日から58年12月31日まで行われた。 それは言わば、第2次世界大戦の傷跡が消えぬなか、各国が国力をアピールする絶好のチャンスであった。特にフランスでは海軍と、当時まだ正式な名称を与えられていなかったシークレットサービスとの間で、海の地殻探査で必要となるダイバーへの官給品の見直しと開発が極秘に開始。潜水具として世界で初めてダイビング器具の“アクアラング”を開発した海軍大佐の“ ジャック=イヴ・クストー”が、ダイバーの命綱となる潜水用の時計であるダイバーズウオッチの開発を各時計メーカーに依頼した。その任務を海軍からは海軍中尉である“クロードリフォード”、そしてシークレットサービス(SDECE“Service de Document ation Exterieure et de ContreEspionnage ”下で活動)からは“ロバート・ロブ・マルビエ”の2人に託した。 各国の時計メーカーに開発を依頼し、最終的には世界初となる1 00m防水を実現したフィフティ・ファゾムズを開発したブランパンとオフィシャル契約を結んだことはよく知られている。しかし一方で、ジャック本人が日常、ダイビングで使用していたのは、実はロレックスだったのである。その裏にはジャック=イヴ・クストーと、ロレックス創業者ハンス・ウィルスドルフになにか親交があったのかもしれない。 その後、2007年にある映像が注目されるまでロレックスとジャックの関係性は謎に包まれていた。このとき世に出た映像とは、1956年のドキュメンタリー映画『沈黙の世界(邦題)』で、カリプソ船に乗っているジャック=イヴ・クストーがロレックスのサブマリーナを腕に着けているものだったのである。これがジャックがサブマリーナーの誕生にも関係していたことの裏付けともなった。 余談だがサブマリーナーは、一般的には“Suhb-mar-uh-ner ”(サブ・マリーナー)と発音されるが、適切な発音は“Suhb-muh-ree-ner ”(サブ・マ・リーナー)である。これは、フランス語でサブマリーナーが潜水艦のキャプテンのために設計されたことを意味する。 当然、当時ロレックスにもフランス海軍からダイバーズウオッチの開発依頼はあったはずである。そのことからも、このフランス語で“潜水艦のキャプテンのため”という意味をもつという私の解釈は間違っていないと確信している。それはつまり、有名なカリプソン号のキャプテンである“ジャック=イブ・クストー”のためということだったのではないだろうか。 実際、当時、アメリカンロレックス社の幹部であるT・ウォーカーロイド氏やロレックス・ジュネーブ社のディレクター、ルネ・ポール・ジネレ氏がジャックに熱いエールを送り、後に親密な関係にあったことを認めている。 そのジャックは、第2次世界大戦前から潜水艇の設計技師であるオーギュスト・ピカールとも様々なプロジェクトに参加していた。ピカールは“FNRS─ Ⅲ ”プロジ東京・荒川で時計オークションの運営とサポートを行う、クールオークションの代表。自身が熱烈な時計収集家であり、海外のオークションで得た広範な知識と経験から日々、歴史に埋もれた時計の謎を研究している。ェクトでバチスカーフトリエステと名付けた潜水艦を建造。それが完成したのが1953年である。 54年頃のロッレクスの広告ではサブマリーナーを次のように大々的に宣伝している。“潜水艇(バチスカーフ・トリエステ号)で1万350フィート(約3155m)の新しい世界深度記録を樹立し、その舟艇の外側にスーパーオイスターモデルとした時計を取り付け、海底から戻っても壊れず時間も正確に動いていた”(もっともこのとき広告に描かれていた時計のイラストはサブマリーナーではなかった)と。 このように53年のサブマリーナー誕生はジャック=イブ・クストーを中心にすべてが回っていることがおわかりになるだろう。1歴史に秘められた謎をひも解く腕時計謎解き物語語り手林 賢治さんテキストテキストテキスト

| 【商品説明】 磨くというひつの作業が、そのそものの価値を永遠のものに仕立て上げる。磨けば磨くほど抑えきれないほどのまぶしい輝きに変わる、そのままにしておけば、薄っらとした膜かかるような一味も二味も違いを感じる様相へと変わっていく。人の手が加わることで命が宿ると言われる”銀無垢”という昔ながらの素材、その未知に膨れ上がる魅力を角ばったトノー型ケースサイドにエングレービングという形でその魅力を表現している。そしてその銀無垢に隠された80年以上前のメッセージは裏蓋の刻印が示すとおり、ロレックスのイギリス支社を示す”RWCLTD”のメーカー印、そして銀無垢のメタル印である”0.925”と”ベアー/熊”のマークがこの逸品がスイス1882~1934年、そして0.875以上の銀無垢であることをこれでもかとアピールしている。当然その銀無垢に納められたムーブメントは、そのエグラー社”Cal.10 1/2”独特の3,4番、カンギ受けの一対のブリッジに、コートドジュネーブ装飾が一般的である中、希少なペルラージュとして当時の職人が手作業で寸分狂いも無く円の中心に円を重ねていく、それは深く均一であり、エレガントである最高のブリッジ装飾として存在し、それは現代において機械で装飾される不均一なペルラージュとはかけ離れた当時の職人の妥協を許さないディテイルに拘った最高の歴史の語り手となるのは言うまでも無い。そしてすべての現実を納得させる為に存在しているそのダイアルは、完全オリジナルコンディションであり、針も当時のブルースティールのスペード針、そしてブレゲナンバーをその針が示していく姿は経年というヤケがどれだけすばらしいかを言葉で表現しなくて納得するほど。そんな1920年代の香りをプンプン放ち、全体的にエレガントな様相をかもしだしながらも29×42mmというケースのでかさで男らしい存在感もある最高の銀無垢ソリッドシルバーのこの逸品、まず市場に出ることが奇跡、そしてこの逸品の出会いはあなたにとって最初で最後でることは間違いない。それはこの時計が80年という時を重ね、今の今のこの時間をも刻み続けていることは紛れもない事実であるからだ。 日差±60秒、当社でガンギ、テンプ、ゼンマイチェック、注油済みの最高の一品でムーブメント3ヶ月保証お付けいたします。ダイアルは、奇跡の完全オリジナルコンディション、そしてケースは、小キズはあるが、年代的にみても驚くほどのコンディションである。 |
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チャールズ ルイ ティファニーが1837年9月にブロードウェイにオープンしたティファニーストアー。世界一と誇るジュエリーブランドはここから始まった。しかしティファニーが追い求めた真実はタイムピースにあったとも言われ、その拘りは、1861年にスイス ジュネーブに建てた工房を拡大する為に、1874にジュネーブ コルナヴァンに類をみない大規模な時計工場を設けた。同時ニューヨークのユニオンスクエアーははーの中でも老舗のメーカーであり、1840年の終わり頃からパテックフィリップ社から機械を購入し最高のタイムピースを作るようになる。しかし1878年には、ジュエラーとし゛ての威厳を保つ為にマニュファクチュールから撤退、工場をパテックフィリップに売却した。
そんなティファニーだからこそ、ジュエラーとして時計販売には強い意思を持ち、各スイス時計メーカーと販売タイアップをしていった。ロレックスとは1950年頃から始まり、1990年にはロレックスとの販売タイアップを終了させているが、ロレックスのモデルの場合もロレックスから仕入れた時計のダイアルに独自の”TIFFANY & CO”の刻印を印字し販売を行った。
当然、現代において、そのTIFFANY & COの印字のあるものは通常のモデルより市場価格が上がり、プレミアのつているものもあることで、偽物ダイアル業者が寸分くるいも無く、本物として売る販売業者も増え、市場は偽物と本物との境がつかなくなった。更に日本ロレックスはその”TIFFANY & CO”の文字だけを後印したものでもコンプリートサービスを受け、尚更、市場にティファニーの真偽性を知らないままWネームとしての偽物も増えていった。一言で言えば、日本ロレックスはそのダイアルがティフアニーで売られたものかどうかを真偽することは出来ないのである。何故なら彼らは前頭にお話しした通り、1990年にロレックスの代理店契約を解消していることで、ティファニーと揉めることば絶対に避けなければならないということである。ロレックスはそのダイアル自体がロレックスの純正であり、夜光部分がコンプリートサービス時に針やインデックスの夜光部分が脱落する可能性のある状態かどうかで針、ダイアルの交換か否かを決定している為、その個体がティファニーで販売されたかどうかはアーカイブとして残ってはいるが決して公表することはできないのである。ではティフアニーダイアルの真偽性を問う方法はあるのか….2023年よりロレックス本社ジュネーブ内でNFCカード導入、更にNFTへの参入表明をきっかけに変貌した。そこには今までのように、真偽性に関して問う内容はロレックス社から書類は一切なくなった。その意味とは……


1873年、シャルル・アルフレッド・ハーンとエメ・オーギュスト・ハーン兄弟がCharles Hahn & Cie(シャルル・ハーン社)を設立します。1875年にシャルルが亡くなると社名をHahn Frères et Cie.(ハーン・フルーレ社」に変更。経営は息子のシャルルが引き継ぎ、1898年に再びCharles Hahn & Cie.名に戻しました。彼らは独自の時計とムーブメント製造を開始し、1880年代にはヨーロッパ各地で品質により数々のメダルを受賞しました。特に女性用小型ムーブメントが得意でしたが、その後方向転換を遂げます。1900年のパリ万博でも時計機械メーカーとしてのメダルを獲得、世界中にその名が知れ渡り、第一次世界大戦では、スイスの時計産業はほとんどのブランドに部品を供給することで大きな利益を上げました。戦後の好景気で男性用腕時計の需要が高まると、ランデロンはスイスを代表するエボーシュ供給メーカーを引率する立場となり、1793年に世界最古のエボーシュ製造会社として誕生したFontainemelon(フォンテーヌメロン 社)と1925年に合併し,1926年、持ち株会社Ebauches SA(エボーシュ社)が創設されると、ランデロン社も1927年に統合し、エボーシュ社の中、最大企業の一つとなり、1930年代に入り世界大恐慌の不況のあえぐ中、1937年に世界で初めてのカム式クロノグラフ”キャリバー48”を開発、それまで技術をより必要としたクロノグラフの心臓とも言われるピラー部分をカムという簡易的パーツの開発、移行することで、より量産型として生産を可能とし、それまでの高価であったクロノグラフエボーシュをより廉価盤として供給かすることに成功すると、ブライトリング、ホイヤー、シーマなどのクロノグラフを基盤とする高級時計メーカーからも受注を受け、更に時計メーカーでないジュエラーが自社のモデルを制作する場合のサプライヤーとしてスイス政府が基盤となったクロノグラフスイスが誕生すると、そのエボーシュとしての役割を担い、今世紀最大の利益と富を生み出した。1961年には、スイスで初めて電気式時計ランデロン1450を発表。1967年、エボーシュSAの拠点がランデロン社に移ると、Dynotron 9150を発表。セイコーなどがクオーツを発表することで、機械式から時代がクオーツに移るとランデロンは1970年に機械式クロノグラフ(Landeron 48シリーズ)の生産を終了し、1983年に完全閉鎖されました。ご存じ、バルジュー社の7750などのカム式は全てランデロン48キャリの思考技術がベースとなっており、フォンテーヌメロン社は、ロレックスが時計会社”Veuve de Philippe Huther/ヴーヴ ドゥ フィリップ ヒュンター”を引き受け、1936年にチュードルSAとして最スタートさせた時からメインキャリとして、更にオイスターウオッチカンパニー、マルコーニなど、ロレックスが廉価盤メーカーを立ち上げと同時にエポーシュとしてロレックスに提供していたことは言うまでもない。

1865年ジョルジュ・ファーヴル=ジャコがル・ロックルに創業し、当時、ルクルト、ロンジンと並び、世界三大マニユファクチュールとして、自社ムーブメントに対して徹底した開発への魂を注ぎ込んできたゼニス。1969年、ホイヤー、ブライトリング陣営による世界初自動巻きクロノグラフ”CAL.11”の開発より3ヵ月遅く自動巻きクロノグラフ”エルプリ/3019CH”を開発したが36000振動という高振動自動巻きクロノグラフは当然実質上自動巻きクロノグラフの世界では最高峰となる。 しかし、ゼニスに関しは、クロノグラフの生産は全てサプライヤー生産となる。エルプリに関しても、クロノグラフの巨匠と呼ばれたモバドを買収する形でクロノグラフの生産性を自社に取り込んだことはいうまでもない。時を返せば、1891年にクロノグラフを開発したエクセルシオパークとも後、エクセル名機となるキャリパー4の誕生により、ゼニスの143系クロノグラフが誕生していく。1958年にはユニバーサジュネーブ社にクロノグラフを提供していたマテール社から見受の話があったことで、1959年にマテール社と手を組むこととなり、ゼニスは自社でクロノグラフの生産に成功した。
そんなゼニスも当然、1920年代に初のクロノグラフとなるタイムピースを生産している、それは懐中時計の様相を醸し出し、開閉式のハンターケースのトレンチ。文字盤は腐食しない経年の焼けが全くないポーセリングを採用している。1920年代ということもあり、40MM近い大きなケースを採用している。今回の逸品を見てみよう。39MM近い18金無垢ケース、1920年代の特長であるラグの部分は脱着できないハメゴロシと呼ばれるピンがケースにダイレクトに留められている。特に今回のケースはラグ部分が、ケースの内側にあることで、ハメゴロシとなるラグピンが湾曲しなければ、ストラップにとりつけることが出来ず、今回のラグピン部分を見ても、かなり大きく湾曲している。クロノグラフのスペックは30秒積算計に60秒に永久秒針を3時位置に配している。当然、スタート、リセット式のワンプッシュクロノグラムラフということもあり、キャリバーはパルジュ22、正式に機械のテンプ位置にキャリ番号の刻印がないことで、GHTキャリとなる。文字盤はピュアホワイトの陶器製のポーセリング文字盤で、特有のヒビは全くなく状態としても、ケースに小さな打痕があるが、100年以上経っているが状態は完ぺきと言っても過言ではない。

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