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チュードル サブマリーナ マーク5 アンダーライン 1964年3期 入荷



1920年代当時、アメリカでは、自家用車やラジオ、洗濯機、冷蔵庫等の家電製品などの様々な発明で、アメリカを中心に、ヨーロッパに飛び火し、世界は空前絶後の『黄金の20年代』とも呼ばれ、当然、ロレックス創業者”ハンス・ウィルス・ドルフ”も、アメリカに市場を求めた。そして一般市場向けの価格帯の商品を送り込む為に、ロレックス時計の市場価値を下げない為に、”ディフュージョンブランド”が誕生した。それは何と1920年代から始まり、中には70年代初め頃まで実在したものもあり、それはなんと50社とも呼ばれる。(ユニコーン、ジェネックス、アクア、オイスター、ソーラー、ブレックス、セルシーマ、ロネックス、モネダ、ロルコ、サウスマーリン、オミグラ、プリンスダウフィンなど)といった具合だ、その中でもその人気の高さゆえ、現在でも独自の文化を開花させたのが、イギリスのチューダー王朝で有名なチューダー家王族創設のヘンリー7世の紋章としても知られる薔薇をモチーフにした『チュードル』である。1926年、 “Veuve de Philippe Huther/ヴーヴ ドゥ フィリップ ヒュンター”として存在していた時計メーカーをロレックスが、1930年に引き継ぐ形となり、1946年3月に”MONTRES TUDOR SA”に社名を変え今日に至っているが、何と言っても小薔薇、盾薔薇、大薔薇と、その年代により変わっていったチュードル社のエンブレム、そしてそこに存在するそれぞれの薔薇紋の多様性、派生モデル、そして数多く存在するペットネームの謎と、ロレックスとは違う独自に歩んでいった世界が又、コレクターを熱くする要素でもある。

1953年、ロレックスサブマリーナ”6204”の誕生プロセスから”Ref/1680”デイトファーストサブまでの道のりを一緒に歩み独特の世界を築き上げたチュードルサブマリーナ。
中でも薔薇紋の世界で唯一サブとして存在する小薔薇サブの魅力は生産数も少ないこともあり別格ともなろう。ロレックス”Ref.6200”サブを同パーツとして小薔薇サブ”Ref.7922”が1954年に誕生する。それはロレックスサブの廉価版としの存在であるが機械以外はほぼ同パーツであり100mというプロ仕様、そこに潜水時にも視認性を見せたラジウム夜光からダイアルをより見やすくしたドーム風防などクオリティーは販売当時から高かったのは事実である。その後唯一の手巻きキャリバー1182を搭載することで謎多きチュードルサブとしてダイアルにSELF-WINDINGではなく”SHOCK-RESISTING”としバックケースはフラット。時分針はペンシル、秒針はドットトップとしてその伝説は1年だけの製造とも言われるRef.7923が誕生する。そして1958年、ロレックスRef.6538を同ケースとし200m防水の同スペックチュードルサブマリーナ”Ref.7924”が誕生する。それは6538同様、8mmオーバーのビッグ竜頭に37mmケース。より厚くドームとすることで視認性をより高くし防水を高めた。そして翌年、チュードルサブを1968までの十年間を支え続けてきたRef.7928が1959年に誕生することとなる。それはロレックスRef.5513を同パーツとしサブマリーナ初となる竜頭ガードを装備、39mmケースとなり二回りも大きくなった。キャリバーはRef.7922同様エタの390キャリバー。1953年にはロレックス同様、夜光がトリチウムに変わる間におこる特別な夜光としてのサインであるアンダーラインも存在し、小薔薇紋章も茎の部分の花弁と他4枚の花弁が違うが、後期な薔薇紋は5枚の花弁が同一柄となる。

そして1959年に誕生していくチュードル7928。1969年のその歴史を7016に譲るまでには、果てしなきスートリーが存在する。基本ベースはマーク1からマーク7まで存在し、チャプターリングからスケール、針まで全てギルトカラーに、12時位置のレッドトライアングル、そして最大の特長であるクラウンなガードのトップが大きく平たいスクエアーガードたるマーク1。文字盤のデザインには変更がないが、クラウンガードが鷲の嘴に似ていることでイーグルビークと言われた60年、61年と続くマーク2。1962年頃になると夜光塗料の変更に伴う印としたアンダーラインの抒情詩となる6時位置に夜光をドットを印したエクスラメーションダイアルが登場し、クラウンガードもトップ形状となるポインテッドクラウンガード通称PCGのマーク3。そして完全に夜光塗料が変更していった証をself-windingの下に白い横線を入れることで管理を徹底したアンダーラインが登場した1963年頃のマーク4

ここでレターはシルバー色に変更されたが、アンダーラインは568000シリアルナンバーまでの1964年3期まで登場していき、針のフレームはシルバーに変更されマーク5となる。1965,66年頃まで製造数を調整するが、チャプターリングのある固体と無い個体が平行し存在していく。ロレックスサブはスケールにチャプターリングが塗布されるのは1963年までだ、チュードルは1966年頃まで続く個体も存在する。今回の個体は非常に希なマーク5。最高のストーリーである。

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紅ボティーに魅惑の想いをつのらせる。14金無垢ローズゴールド ロレックス バブルバック入荷 Ref.3131


経年のヤケが奇跡のようにダイアルを全体的に薄いオブラートで包み込むかのように溢れだすこのヤケた色合い。完全体というオリジナルコンディションの証、それは決してプロセスではなく本物が持つオーラという存在…..長い年月の中で、いろいろな環境が重なり自然の力でしか成し得ない奇跡という源を背負った真実のストーリーが存在する。当然、人の力では創造できない未知なる世界であり、そんな世界に触れた時、あなたは本当の喜びと出会えることが出来よう。そしてそれが更に特別なオーラを放つ時、確実にあなたの心の奥に真実の美しさを植え付けよう…..

 

腕の湾曲に合わせる為に究極の選択をしたカーベックス自社特許としたストーリーとは…グリュエン カーベックス入荷

★★★ GRUEN ★★★
14k Solid gold curved Ruqurtangular - CURVEX – Curved movemnt style
14金無垢 カーブド(湾曲した)レクタンギュラーケース “カーベックス”  カーブド(湾曲した)機械

R e f . 4 4 0 4 4 8
【商品説明】
1920年頃からスイス、ビエンヌに工場を設立し、1925年キャリバー117の開発により角型のマニュファクチュールとしてアメリカを代表するブランドはスイスへとその軌跡と野望は広がり、角型での開発では一目置かれる存在となった。当然その技術は生かされ…..続きは商品ページで
 

 

パワーウオッチ”謎解き物語り”ロレックス エクスプローラーの謎解き物語り完結、今月よりカルティエの謎に迫る


1904
年11月12日、アルバート サントス・デュモンが機械式の飛行に初めて成功した。
『his flying machine had flown 75, 128, and 142 yards, decided to return to his starting point by going against the wind. For thirty yards the motor ran along the ground, then suddenly it rose to a height of about five yards, and appearing like a great white bird, it soared half-way down the course. M. Santos Dumont, startled by some spectators in his way, twisted his rudder quickly, and the machine came heavily to the ground, damaging one of its wings. The experiment, however was a triumph for actual flight was achieved; and it seems as though it were only a matter of time for the conquest of the air to be accomplished. The 235 yards were traversed in twenty-one seconds.”』
この事実は上記の記事と共に写真が付けられ世界全土を駆け巡った。その偉業に立ち会った唯一のサントスの永遠の友となり、後、ジュエラーでありながら世界最大の時計メーカーの一つとしのストーリーを現代まで続く軌跡を創造した偉人、

ルイ・ジョセフ・カルティエ”

記事の内容どおり、この偉業はルイ・ジョセフの偉業となり、資本というより、サントスデュモンの夢を感じとり、その飛行している彼を見た時、空を羽ばたく大きな白鳥のように見えたという。その姿を見て、彼はこの夢を現実に一緒に成し遂げたいと思ったという。そして235ヤードを21秒で飛行したことは紛れもない事実で、そのサントスの決断こそが、彼の真実の時計のストーリーとなっていくことは云うまでもない。

 

私が、カルティエと出会ったのが、2010年頃にロレックスの真偽の謎を解くために世界中を駆け巡っていた時に、ロレックス以外に偽物が多いことを知ったのが、何を隠そう、カルティエであった。当時、タンクが人気を博し、カルティエが独自の金メッキの技術の特許をとり、文字盤にも様々なデザインもあることで世界中に偽物か蔓延していた。その中、一本のジャガー社とカルティエのwネームが1940年頃のクロノグラフを手に入れたことをきっかけにこの一本の時計と向き合うことで、ジュネーブのカルティエに足しげく通ったことを思い出す。この時計からカルティエの技術者と仲良くなり、80,90年前の時計から80年前のタンクまで、真偽鑑定とコンプリートサービスをお願いし、このジャガー社とカルティエwネームの一品ヲカルティエにもっていき、真偽をして頂いたが、コンプリートサービスのして頂くの、一緒にジャガー・ルクルトに案内してくれたことを思い出す。そしての一品は真偽てを終え、本物としてコンプリートサービスを終えた。その一本から始まる壮大なカルティエ。特にジュエラーとして時計産業に見いだした。ジョセフ・ルイ・カルティエの時計に対する壮大なロマンのストーリーをお届けしたい。

 

ロレックス 1675/0 PCG OCC 1961年1期のみ存在するマーク0 ストーリー トロピカル文字盤 入荷


1954年に誕生したGMT-マスター、1035搭載のファースト6542は、1530が開発された事で、当初ノンクロノメーターであったが、5姿勢差調整した事でクロノメーター1535搭載1675が誕生する。やはり1675の特徴は1960年に誕生してから光沢のあるギルト文字盤の文字盤外周のチャプターリングマーク0から3まで、から1963年を境にチャプターリングに変わったマーク1-3まで、1966年を境にマットのマーク1から7のサービスだいあるまで存在する。しかしやはりその中でも伝説と言われのがマーク0の簡易に時間調整可能としたレギュレーターを搭載し たOCCダイアルだ。しかし振動や衝撃によりズレが生じる事でレギュレーターをなくす事で、安定性をはかり文字盤にもSUPERLATIVE の文字を刻み、バージョンアップOCSCとなり、OCCダイアルはシリアル頭ナンバー5032から505の1960年一期のみで幕を閉じる。グロス文字盤に小さめのインデックス。24時間針はややチャプターリングから飛びで、1565は蝶に似たバタフライローター、ヒゲゼンマイ絡み防止、そしてレギュレーター機能18000振動のOCC伝説は1675始まりの語り手として永遠に存在していく事は間違いない。

 

UAEアラブ首長国連邦モデル★ロレックス サブマリーナ Ref.5512★1970年・Cal.1560☆ロレックスOH済みギャラ.純正箱付属

★★★ R O L E X  ★★★

With Rolex Official Gurantee Card ” UAE MILITALY” White Letter 1970’s
ロレックスオフィシャル保証カード “公式アラブ首長国連邦ミリタリーモデル”ホワイトレター 1970年
サブマリーナ R e f . 5 5 1 2

 

謎解き物語り  40回 サブマリーナの謎・第一章 誕生・・・Ref.6204 ディープシー


テキスト951年に提案された“国際地球観測年”は世界規模での高層気象、地磁気、電離層など、地球の物理学的調査査を目的とした国際科学研究プロジェクトとして57年7月1日から58年12月31日まで行われた。 それは言わば、第2次世界大戦の傷跡が消えぬなか、各国が国力をアピールする絶好のチャンスであった。特にフランスでは海軍と、当時まだ正式な名称を与えられていなかったシークレットサービスとの間で、海の地殻探査で必要となるダイバーへの官給品の見直しと開発が極秘に開始。潜水具として世界で初めてダイビング器具の“アクアラング”を開発した海軍大佐の“ ジャック=イヴ・クストー”が、ダイバーの命綱となる潜水用の時計であるダイバーズウオッチの開発を各時計メーカーに依頼した。その任務を海軍からは海軍中尉である“クロードリフォード”、そしてシークレットサービス(SDECE“Service de Document ation Exterieure et de ContreEspionnage ”下で活動)からは“ロバート・ロブ・マルビエ”の2人に託した。 各国の時計メーカーに開発を依頼し、最終的には世界初となる1 00m防水を実現したフィフティ・ファゾムズを開発したブランパンとオフィシャル契約を結んだことはよく知られている。しかし一方で、ジャック本人が日常、ダイビングで使用していたのは、実はロレックスだったのである。その裏にはジャック=イヴ・クストーと、ロレックス創業者ハンス・ウィルスドルフになにか親交があったのかもしれない。 その後、2007年にある映像が注目されるまでロレックスとジャックの関係性は謎に包まれていた。このとき世に出た映像とは、1956年のドキュメンタリー映画『沈黙の世界(邦題)』で、カリプソ船に乗っているジャック=イヴ・クストーがロレックスのサブマリーナを腕に着けているものだったのである。これがジャックがサブマリーナーの誕生にも関係していたことの裏付けともなった。 余談だがサブマリーナーは、一般的には“Suhb-mar-uh-ner ”(サブ・マリーナー)と発音されるが、適切な発音は“Suhb-muh-ree-ner ”(サブ・マ・リーナー)である。これは、フランス語でサブマリーナーが潜水艦のキャプテンのために設計されたことを意味する。 当然、当時ロレックスにもフランス海軍からダイバーズウオッチの開発依頼はあったはずである。そのことからも、このフランス語で“潜水艦のキャプテンのため”という意味をもつという私の解釈は間違っていないと確信している。それはつまり、有名なカリプソン号のキャプテンである“ジャック=イブ・クストー”のためということだったのではないだろうか。 実際、当時、アメリカンロレックス社の幹部であるT・ウォーカーロイド氏やロレックス・ジュネーブ社のディレクター、ルネ・ポール・ジネレ氏がジャックに熱いエールを送り、後に親密な関係にあったことを認めている。 そのジャックは、第2次世界大戦前から潜水艇の設計技師であるオーギュスト・ピカールとも様々なプロジェクトに参加していた。ピカールは“FNRS─ Ⅲ ”プロジ東京・荒川で時計オークションの運営とサポートを行う、クールオークションの代表。自身が熱烈な時計収集家であり、海外のオークションで得た広範な知識と経験から日々、歴史に埋もれた時計の謎を研究している。ェクトでバチスカーフトリエステと名付けた潜水艦を建造。それが完成したのが1953年である。 54年頃のロッレクスの広告ではサブマリーナーを次のように大々的に宣伝している。“潜水艇(バチスカーフ・トリエステ号)で1万350フィート(約3155m)の新しい世界深度記録を樹立し、その舟艇の外側にスーパーオイスターモデルとした時計を取り付け、海底から戻っても壊れず時間も正確に動いていた”(もっともこのとき広告に描かれていた時計のイラストはサブマリーナーではなかった)と。 このように53年のサブマリーナー誕生はジャック=イブ・クストーを中心にすべてが回っていることがおわかりになるだろう。1歴史に秘められた謎をひも解く腕時計謎解き物語語り手林 賢治さんテキストテキストテキスト