
独特のエッジのついた回転ベゼル、視認しやすくする為の計算式の基準となる9時位置にある”10ポイント”、そして速度、所要時間を計る12時位置にある”kmポイント”、そしてそれらの答えをはじき出す9時位置にある”STATポイント”、”36ポイント”、”NAUTポイント”が、赤色で表されたブラックフェイス。ナビタイマーRef.806″セカンド”とつい口走ってしまいそうだが、そこには、5時位置のデイト表示。何かが違う….『SINN』。そう今回は、ブライトリング、ホイヤーを中心に1969年に開発された世界自動巻きクロノグラフ”Cal.11″に秒針を付け改良した”Cal.15″を手巻きモジュールとしてバルジュー社と共同で開発した”Cal.7740″をブライトリングのムーブとして搭載した最高に希少なすばらしい”SINN”の一品をご紹介したい。当時のウィリー・ブライトリングとジャック・ホイヤーが中心となり設立した”クロノグラフ協会”を中心に、スイス時計業界の生き残りを賭けた歴史の闇に消えた真実の物語を皆様にお伝えするとともに、まず、市場には出回らない、そしてこの出会いがあなたの最後のチャンスであることも最初にお伝えしたい。
1884年”レオン・プライトリング”が創業してから1915年、世界初腕時計クロノグラフを世におくりだした2代目”ガストン・ブライトリング”、そしてその後、不屈のブライトリング40年間、守り続けた3代目”ウィリー・ブライトリング”の苦労は、並大抵のものではなかってあろう。1932年、ウイリーが父から引き継いでから間もなく、今のクロノグラフの基礎である”2時位置スタートプッシャー、4時位置リセットプッシャー”を世界で初めて開発し、その後、開発にの問題である開発費との戦いの末、ヴィーナス社というパートナーと組むことにより、マニファクチュールであったブライトリングの良さを生かしエボーシュとしてヴィーナスキャリを導入し、精度を徹底することにより製造コストを押さえ、より精度に力を注ぎ、1942年、開発したのが初代”クロノマット”であり、そこには、”ヴィーナスCal.175″を搭載した、その後その精度を追求し、ヴィーナスと共に世に出した”Cal.178″名機となり、1952年、世界最大の飛行士協会”AOPA”の公式として採用され誕生した『ナビタイマー』である。それはCal.178の驚異的な精度の良さにより実現したと言っても過言ではない。しかし突然、そこに暗雲が差し込んだ。1964年、ヴィーナスが、エボーシュ連合に統合され”178キャリ”の供給停止、それを機に、1969年ホイヤー、ビューレン・ハミルトン、デュボア・デプラ、4社で世界初自動巻きクロノグラフキャリ”Cal.11″を開発したが、その翌年、オイルショック、そしてクォーツショックによりスイス、アメリカ時計業界はほぼ全滅に近い状態となった。その後、ブライトリングもファミリー企業としてのDNAの血を守る為、伝説”ウィリー・ブライトリング”は、最後の決断をした。1974年頃、当時のクロノグラフ協会のメンバー企業を中心に、ナビタイマー、クロノマティックのケース、そしてムーブメント、パーツすべてを売却することを決めた。その中には、当時、軍用時計を作っていた”Ollech&Wajs/オーレッヒ&ワイス社”、そして、ブライリング創業者”レオン”と時代は違えども同じ空に夢を追い求めた”ヘルムート・ジィン”率いる”SINN”社なども名を連ねていた。
『Helmut Sinn/ヘルムート・ジィン』、第一次世界大戦の戦渦の中、避難民として幼少時代を過ごし、貧困生活の中で、人生そのものが戦争であり、彼もパイロットになり戦争という悪魔に没等していった。そんな中、彼の運命を変える出来事がおこった。偵察部隊として任務についていた彼がロシア戦線において彼は、計器浮動作により落下し、参戦不可能な重症をおった。その後、飛行士の養成に力を注ぎながら飛行機の計器に対する思いを形にすることを心に深く秘めながらSINN”ジン特殊時計会社”を設立した。そして彼の苦しい戦争の体験は、やがて空へのなつかしい思い出と変わり、彼が91歳の時、世界最高齢としてパイロット資格を再度、取得しもう一度、空を飛ぶ夢をかなえた…
そんな今回の歴史に隠れた真実が明かす、凄まじい真実のストーリーを物語る希少なこの一品。どうか最高の価値をつけて頂きたいことを願い、又、同じ空を追い求めた”レオンブライトリング”そして、”ヘルムート・ジィン”のスイス時計界を引率する偉人達の繋がりに心から敬意を表したい。














