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幻!ポールニューマンダイアル★ロレックス デイトナ★Ref.6239/Cal.72B

PRICE 
MODELRef.6239 コスモグラフ デイトナ ポールニューマンダイアル
MOVEMENTCal.72B 
AGE1960年代 
MATERIALステンレススティール 
SIZE35mm/横径リューズ含めず×42.5mm/両ラグ先端まで 

SOLD OUT

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幻!ポールニューマンダイアル★ロレックス デイトナ★Ref.6239/Cal.72Bのサムネイル
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 デイトナポールニューマンを語る上でオリジナルコンディションへの拘りは伝説となりしモデルだけに絶対的にな必要条件となろう。当然、スイスにも有名なケースノリメイクメーカーなどの一品は日本のアンティックショップオーナーで騙されるほど、経験がないとなかなか語れない。当然ダイアルが変わるだけで400万円以上の価値を持つ、ポールニューマンダイアルも、神奈川のある業者はシンガー社(SINGER)のダイアルを使用し丁寧にリメイクし見た者のほとんどがレメイクと知らされない限りはわからないほどのクオリティーがある。現に私も紹介され会ったことはあるが、半端でない丁寧な仕上がりであった。綺麗すぎておかしいが、疑う予知がないほどであったことを今でも覚えている。当然、30年前以前のモデルだけに、シルバーブラッシュのノーマルデイトナダイアルはまずヤケにくいが、ポールニューマンダイアルはマット仕上げの為、ヤケないことはまずないと思って頂いたほうが良いだろう。ヤケも無く綺麗すぎだら疑うべきかもしれない。1990年からのリペアは必ず12時位置にのSWISSの両脇につくアプライド表示のドットのトリチウムを表す”T”の文字が消えるのが普通(1990年の境はトリチウムと新夜光”ルミノバ含む”が”T”が無くとも入り乱れる)。新品のように綺麗で、”T”の文字がついてあるものは要注意と見た方が良い。6時位置シリアル、12時位置の双方の大きさが違うもの、又シリアルの刻印が深すぎるのもフェイクの特徴。年代によりバックケースのフラット感が変わるが、それも真偽の枠に入れたほうが良いかも。年代別のパーツでは、リューズのネック部分が傾斜のあるものからフラットへと、フィクスベゼルもメーカーリペアも300表示から200表示へ、派生する希少な50、100表示のものも存在するがある程度の方程式があるが、使い回しのロレックスの歴史でそれぞれのパーツのマッチ性を考えるのは難しいので、フェイクが何かを考え、学べばそう怖くはない、と言っても一個が高いだけに経験を積むことが難しいので永遠のテーマとなりえない。だからそこに美学があると言っても過言ではない。
そんなデイトナポールニユーマンから今回ご紹介させて頂くのは、パンダフェイスの優雅でいて大胆なその独特のフェイス。やはりブラックポールよりもやや人気である。特に今回のエキゾチックポールニューマンダイアルのパンダは、スポットヤケも無く全体にヤケが綺麗にでている。トリチウムのドット部分は剥がれ落ちている部分もあるが、素人が見てもこのヤケ具合は只ならぬオーラを感じるほど、簡単に言うと本物は自然体である。乾燥してある場所へ新品の頃より保管すればまだしも当然マットは年月分だけヤケていく。これが自然の摂理である。そんな唸るオーラを出しながらケースは、ラグ部分にヤセはあるが独特の柔らかい曲線を表現している。リューズは初期のネック部分に傾斜のある”ツインロック600”。バックケースは個人の刻印があるものの、よりフラットなスクリューバック。ベゼルは既に墨が抜けているが後期の200表示の当時のもの。すべてにオリジナルコンディションの年輪の漂いをオーラとして放つ最高の逸品であることは約束しよう。ブレスはこのモデルの純正ではないものの希少なRef.6635のリベットのエクステンションブレスにフラッシュフィットが60。をご用意させて頂きました。最後に私なりのデイトナに対しての想いをばかのように綴りながらこの逸品のストーリーのエンディングとしよう。


1958年4月12日、ソ連ホストーク一号が人類初の宇宙飛行を実現し完全に差をつけられたアメリカは当時の大統領”ジョンFケネディー”が『この10年以内に人間を軌道に送り、宇宙におけるその能力と対応を調査し、安全に地球へ帰す』と宣言し、世界規模となるマーキュリー計画が1961年に始まることとなる。当然、その宣言によりアメリカ時計産業もオフィシャル契約の為に全デランドが動きだし、アメリカン法でまもられていたアメリカンブランドは余裕の体制でいたのかもしれない。現実的に未だマーキュリー計画では各宇宙飛行士が自分で選択できたこともあり、スイス勢もオフィシャル契約への追撃としてオメガは”ウオーター・シラー”、ゴードンクーパーらにセカンドスピードマスター”CK2998ふを、ブライトリングはスコット・カーペンターへ”コスモノートRef.809”をとその争いは水面下で熱いヒートを魅せていた。当然、ロレックスもそのマーケティング力により1964年ついにNASAフライトクルー・オペレーション部の”ドナルド・K・スレイトン”を中心にオフィシャルウオッチとして選定された時計メーカーに見積もりを依頼することとなった。その中には、アメリカン法により”エルジン、ベンラス、ハミルトン、ミドー、そして最後までアメリカン法を盾にし契約を獲得しようとしたブローバ、そしてスイス勢からはルシャン・ピカール、オメガ、ロンジン、そしてロレックスの名もそこに挙がった。その翌年、各メーカーのNASAが課した過酷な条件の環境テストが行われた。そして最終的に残った3つのメーカーにコードナンバーガ与えられた。オメガ=CF55033、ロンジン=CF5032、そしてロレックスに与えられたのは”CF55034”。12時間積算計を絶対条件とし、最終ロレックスは相対湿度テスト中、2度時計が止まってしまい、1961年から宇宙に夢を目指したロレックスの飽くなき戦いは、1965年、NASAがオメガに決定することで幕を閉じたが、その偉大な功績は宇宙に目指したその熱き魂”CSMOGRAPH/コスモグラフ”という名で現代にまで息衝いている。