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1998年限定モデル オメガ★スピードマスター★クロノグラフCal.1143

PRICE 
MODELスピードマスター クロノグラフ 限定モデル
MOVEMENTCal.1143 
AGE1998年 
MATERIALステンレススティール 
SIZE38mm(クラウン含めず)×41mm(ラグ to ラグ) 
1998年限定モデル オメガ★スピードマスター★クロノグラフCal.1143のサムネイル
1998年限定モデル オメガ★スピードマスター★クロノグラフCal.1143のサムネイル
1998年限定モデル オメガ★スピードマスター★クロノグラフCal.1143のサムネイル
1998年限定モデル オメガ★スピードマスター★クロノグラフCal.1143のサムネイル

1900年、パリ万博において正式に世界で始めて腕時計を発表する……..

オリンピック公式時計として1932年から世界へ見出し、そして1969年、

1961年、5月、ケネディー大統領が、人類史上初、月に人を送り、無事、帰還

させるという演説をきっかけに、既に始まっていたマーキュリー計画を加速

し、アポロ計画へと押し進む。

政府装備支給品NASA担当者が、テキサスの宝飾店コリンズを訪れてから始

まったオメガとの出会い、そしてその後のNASAの過酷過ぎる条件、あらゆる

テストをクリアしたのは、オメガだけであった。

アポロ計画を成功させる為に、挑んだジェミニ計画。

それは、オメガが、正式に月へ行くことを認められた瞬間であり、

そして、1966年、オメガが正式に宇宙へ始めて飛んだ年ともなった

同年、オメガスピードマスターに与えられた最高の栄冠

『P R O F E S S I O N A L/プロフェショナル』

そして、1969年、オメガスピードマスターが月へ飛んだ年、

新たに最高の栄冠をダイアルに与えた…………

それは、宇宙へ飛んだ。

その技術力、そして巧みな販売戦略は、カーレース界への新たな道のりとなる

世界で正式に腕時計を発表し、それは永遠の伝説のストーリーとして”スピードマスター”に託され、その後1969年、アポロ計画、公式時計として世界に確固たる地位を築いた”オメガ”。

水面下で、コマーシャルスポンサードとの契約へ昇りつめる巧みな販売戦略は、1993年、カーレースへと向けられていった。しかし、カーレース界において確固たる地位を築いたホイヤー、そしてフェラーリとのライセンス契約をジラール・ペルゴに先に越された事実の影に、オメガが、次に打って出た戦略は、1996年にフェラーリへ移籍したシューマッハとのスポンサード契約であった。

1995年にスポンサード契約していたオメガには、シューマッハという媒体と、永遠にカーレース界を我が物のする為の最大の近道である”フェラーリという媒体”がいずれ結び合うことを、ミハエル・シューマッハがF1グランプリ初優勝を遂げた1992年、既に予感していたのかもしれない。

そんなストーリーを考えながら、今回、ご紹介させて頂くのは、ミハエル・シューマッハが、フェラーリへ移籍した年、1996年からシューマッハが、突然の引退発表した2005年までの9年間、彼を見つめてきたスピードマスターの2代目シューマッハモデル。一目見て、レーサーモデルとわかるその様相は、ダイアル外周にチェッカーフラッグデザインをオメガ流に表現し、原色で強いインパクトでその後のシューマッハモデルの本当の意味での源流となった今回の一品”REF.3510.12”。ステンのケースをハイポリッシュとヘアラインの仕上げを微妙な曲線で表現し、1966年の4代目の遺伝子を色濃く残し、スピードマスターというひとつの文化をあえて強調している。ケース裏のリファレンス”175 00321″が物語る如き、ETAの2980A2キャリをベ-スにし自社調整したCal.1143は45石、28800振動、安定した精度とメンテし易いことで定評のあるキャリバーである。このモデル独特のタイヤをモチーフにしたオリジナルボックスは無く、時計本体のみの出品となりますが、ケース、ベゼル、風防に至っても目立つキズも無くミントに近い最高のコンディションであることをお伝えしたい。

【コンディション】
日差±20秒、ガンギ、テンプ、ゼンマイチェツク、注油済みの3ヶ月保証お付けいたします。完璧な未使用の状態で言う事無し。