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幻!空軍官給フリーガークロノグラフ ★グラスヒュッテ チュチマ★Cal.59

PRICE 
MODELチュティマ・グラスヒュッテ フリーガークロノグラフ ターニングポインターエッジベゼル
MOVEMENTCal.59 
AGE1940年 
MATERIALブラスメタル 
SIZE38mm/横径リューズ含めず×48mm/両ラグ先端まで 

SOLD OUT

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幻!空軍官給フリーガークロノグラフ ★グラスヒュッテ チュチマ★Cal.59のサムネイル
幻!空軍官給フリーガークロノグラフ ★グラスヒュッテ チュチマ★Cal.59のサムネイル
幻!空軍官給フリーガークロノグラフ ★グラスヒュッテ チュチマ★Cal.59のサムネイル
幻!空軍官給フリーガークロノグラフ ★グラスヒュッテ チュチマ★Cal.59のサムネイル

1945年、当時オリジナルドイツ時計産業の聖地と呼ばれたグラスヒュッテである伝説と呼ばれ、それはUROFA社(Uhren-Rohwerke-Fabrik Glashütte AG )UFAG社(Uhrenfabrik Glashütte AG )との共同で開発され、ドイツ史上最高と呼ばれたフライバック機能を装備したクロノグラフキャリバー”Cal.59”を搭載し、ドイツ空軍通称” Reichsluftwaffe”への支給品として第二次世界大戦の動乱を見据えることとなった。 1945年、2月13日、当時曇りがかったどんよりした朝10時15分、空は一変、1299機の空軍爆撃隊により空は番音と共に血の海と化した。死者60万人とも言われ、時計史の聖地であるグラスヒュッテも壊滅となった……..

1939年、ドイツ軍がポーランド侵攻に伴い、イギリス、フランスが同盟国ポーランドを援護する為、戦線布告、更に1941年、ドイツ軍がソ連への侵攻により独ソ戦争が始まり、ソ連側はこの時点で500万人も言われる死者を出した。1942年、アメリカの物資援助もあり、スターリングラード攻防戦により戦況はソ連軍に傾き、1945年、グラスヒュッテを襲ったドレスデン空襲が覚め止まぬ中、同年4月16日、ジューコフ元帥のベルリン総攻撃が開始され、4月30日、ヒトラーが自殺。5月7日ドイツ帝国は降伏に調印し、事実上崩壊した。それによりソ連はドイツ軍の軍事施設、物資はすべて爆破、髪の毛一本も残さぬほど、すべてのものを没収した。しかしソ連側は結果1100万人以上の死者を出しドイツへ憎しみは戦争が終わっても増大し、ドイツ女性の8割が拉致、強姦されたと言う。 そんな悲劇の歴史が生んだ産物、戦争の為だけに生まれ、30000個も製造されながらも、戦争の惨劇と共にするものや、日の目を浴びなかったものも多く、多くはソ連軍に没収され、現在、実在しないとも言われた……

“Tutima”…….GLASHUTTE FLIGER CHRONOGRAPH
チュティマ・グラスヒュッテ フリーガークロノグラフ

世界で初めて軍用の腕時計をジラール・ペルゴにドイツが納入させ、又1939年以前のイギリスのマークシリーズやアメリカ軍のタイプAシリーズがドイツのクラスシリーズのクラス規定を真似したように1900年以前から第一次世界大戦なども含め軍の官給品としの時計の役割を他国よりもいち早く導入していたドイツ軍は、第二次世界大戦を期に他国とは違う官給システムを導入していた。特に戦火が激しくなった1944年にはすべての軍官給品に対して、それまでのナンバリングシステムが無くなり時計に関しては、シリアルだけの刻印のみとなった。今回の一品、1944年、45年に製造された一品は、当然、1945年以降の終戦後ではなく、1945年までに製造された空軍専用の計測用のエッジベゼルにアローのポインターを備えた伝説の一品、当然、将校タイプではない戦争で完全に使用された一品である。ケースはブラスメタル採用の為1940年初期に製造されたと思われ、シリアルからしても1944年頃に間違いないだろう。当然3時位置にデカデカとその圧力を感じるような巨大なクラウンは空軍使用独特のグローブを嵌めても操作しやすいように設計された長めのアビエーション専用。機械はドイツが誇るその後のアビエーションウオッチの基本となるフライバック機能のついた”UROFA Cal.59”は、粗削りなパーツではあるが、ひとつひとつのパーツが分厚く、各部位のレバーも太い、0ポジションの戻りにやや弱いと言われるが、この一品は、1/60なみ状態で最高である。
そんな今回の一品、まるで人の生血を追い求めさまよってきたような妖美な漂いと、戦争に生きた人の真実のドラマが怒涛のようにオーラとして心に流れこむかのような思いとともに、この一品は、ドイツの為に空に向かった勇者の魂をも宿しているのかもしれない。