腕時計 謎解き物語
第57回「エクスプローラーの謎解き物語 ― オイスターエベレスト Ref.2914」
1926年にロレックスが腕時計として世界で最初の防水時計を開発。その翌年10月7日に、イギリス・ロンドンの地元紙「デイリーメール」に記者であるメルセデス・グライツ嬢がドーバー海峡を泳いで2人目の快挙を達成した。
そして世界を驚愕させたのは、この快挙以上に、グライツ嬢が腕にロレックス社の時計を着けたまま遊泳したことである。
グライツ嬢の偉業達成の約1カ月後、11月24日付けの「デイリーメール」の第1面をロレックスの全面広告が飾るという、前代未聞の出来事があったことは事実であり、当時のロンドン市民を驚かせた。
その広告費用は4万スイスフラン(1600ポンド/当時の日本円に換算すると約270万円)ともいわれている。ハンス・ウイルスドルフがここまでの筋書きを予測していたかどうかは謎であるが、グライツ嬢がドーバー海峡を渡る以前から、売れるまでの筋書きが用意されていたのかもしれない。 pw131_080
ロレックスのこれまでの歩みを振り返るとおわかりのとおり、オイスターケース、そしてパーペチュアル機構の開発以来、「世界」は時計の性能を試すための実験室となっていったと言っても過言ではない。
2019年にロレックスは「パーペチュアル プラネット」というプロジェクトを立ち上げたが、この原点はグライツ嬢によるドーバー海峡横断という快挙だったと言っても過言ではない。
未知の世界に挑む探検家たちを支え、そして地球上で最も過酷な場所に自社の時計を同行させてきた。おそらくハンスは、世界中の様々な自然環境を「実験室」と捉え、その世界の先駆者たちとの結びつきを強くすることで情報を得て、その情報を時計開発につなげ、各分野における改革者となろうと考えたのではないか。
例えば1915年にハンターケースを二重にした防塵ケースを発明しているが、そのモデルには「サブマリーン」というペットネームが与えられていた。その名から推測するに、この頃からハンスは過酷な環境に耐えうる時計の開発を目指していたのではないか。
その成果のひとつとして1926年に防水のオイスターケースを完成させたということだろう。もっとも、これはハンスの野望の単なる第一歩でしかなかったのだと私は確信している。
なぜなら、当時ハンスはイギリス王立地理学協会とも関係を深めていたからだ。
同協会は、エベレスト研究のスポンサーを募ることを最大の目的とした「エベレスト委員会」の設立を主導した組織であった。つまりハンスは、その時点ですでにエベレストを絡めたマーケティング戦略を描き始めていたのだろう。
1933年3月4日、スコットランドの貴族、第14代ハミルトン公爵ダグラス・ハミルトンが複葉機に乗り込み、エベレスト山頂の上を飛び越えるとともに、史上初めてエベレストの空撮に成功した。
これによって世界中の人々が、世界最高峰「EVEREST」の名を知ることとなる。当然この偉業はスポンサーであったロレックス社にとっても最大のマーケティングチャンスであった。
同社は1935年、初めて「EVEREST(エベレスト)」の名を刻んだモデルを発表する。
これが1953年、エクスプローラー誕生のプロローグとなったのは言うまでもない。
そしてそれは、1888年にアメリカで設立されたナショナル・ジオグラフィック協会との関係を結ぶ第一歩となった。翌1953年、人類がエベレスト登頂に成功したのを受けて、1954年、ロレックス社と同協会はパートナーシップを結ぶ。
これにより彼らは、アメリカという大きなマーケットに隠れた最大の謎を知ることとなっていくのだ。




