2026年10月

第58回「エクスプローラーの謎解き物語 Ref.6350の軌跡」

エベレストが“世界一高い山”として人々に認知されるようになることを大きなマーケティングチャンスと捉えたロレックス社は、1930年代以降、“エベレスト”、“オイスターアーミー”というペットネームを冠したモデルを次々と発表していく。

Ref.2914をオリジンとし、その後、“オイスターアーミー”として知られる4647、5055などだ。

“エクスプローラー”が誕生する以前、“オイスター”は過酷な環境にも耐えうる絶好の戦略アイテムだったに違いない。

これを大きなマーケティングチャンスと捉えたロレックス社は、ただ完成までに様々な試行錯誤があったことは想像に難くない。

その後、同社はエベレストはもちろん、すべての過酷な環境で通用するスペックを模索するようになる。

こうして生まれたのが“エクスプローラー”ではないか。

ロレックス社は、過酷なすべての環境に通用するスペック=エクスプローラー、として位置付け、“ローラーケティング戦略”をしていこうと考えたのではないだろうか。


1953年5月29日、ジョン・ハント卿を隊長とするイギリスの遠征隊がオイスターパーペチュアルを携行し、エドモンド・ヒラリー卿とテンジン・ノルゲイらのアタックチームがエベレストの世界初登頂に成功したことはよく知られている。

しかしその前年にはスイスの遠征隊がエベレストにアタックしていた(途中で断念)。

スポンサー契約を結んでいたロレックス社としては、初登頂のタイミングで“エクスプローラー”を発表したかったに違いなく、そのため1953年以前にも“エクスプローラー”の名をもつモデルが存在しているということだろう。

さて、話を1953年のイギリス遠征隊に戻すと、その折にロレックス社が貸し出した腕時計は、かつてはエクスプローラーだったといわれていた。

しかし実際に携行されたのはほかのモデルだったことがわかっている。

同社のホームページで公開されている“エクスプローラーの歴史”のなかで、オイスターモデルの画像が大胆にアップされているが、そのモデルは6298である。

彼らが実際に使用した時計かどうか明確な記載はないものの、赤で記された“Official”の文字が示すとおり、“公式品”として提供された時計であったのは明らかである。

そのことから、急遽“エクスプローラー”の名をもつモデルとして誕生させたのではないか。


なお、6098や6298には白文字盤やシャンパン文字盤、さらにコンビモデルも存在している。

また6150にもあったことは間違いなさそうだ。

初期タイプのケースでは“6350”の刻印を横線で引き、“6150”と刻印し直しているものがあるほか、オールローマ数字インデックスのノンエクスプローラー仕様もある。

 

 

 

そして最後に“6350”。

だが、このモデルはほかとは明らかに異なる部分がある。

それが“夜光塗料の塗布の仕方”だ。

スポーツモデルの唯一の欠点は、どんなに夜光が強くても経年により飛散してしまうことである。

この欠点を克服するために、6350ではインデックスの夜光アワーマーカー部分に型を入れ、それ以外にブラックのメラニン加工を施し、文字盤に型を抜いてできた凹みにより多くのラジウム溶液を流し込む方法(特許ナンバー 80551)を採り、ほかのモデルよりも高い発光力を実現した。

6350、6610、そして1016の初期個体で、夜光のアワーマーカー部分が凹んでいるように見えるのはそのためだ。

ラジウム夜光が経年により乾燥し、水分が抜けることで陥没したように見える。

つまり逆に夜光が盛り上がった個体は、リダンである可能性が高い。

これらの事実から、“6350”が最初のエクスプローラーとして誕生したことは間違いない。

第57回「エクスプローラーの謎解き物語 ― オイスターエベレスト Ref.2914」

腕時計 謎解き物語

第57回「エクスプローラーの謎解き物語 ― オイスターエベレスト Ref.2914」

1926年にロレックスが腕時計として世界で最初の防水時計を開発。その翌年10月7日に、イギリス・ロンドンの地元紙「デイリーメール」に記者であるメルセデス・グライツ嬢がドーバー海峡を泳いで2人目の快挙を達成した。

そして世界を驚愕させたのは、この快挙以上に、グライツ嬢が腕にロレックス社の時計を着けたまま遊泳したことである。

グライツ嬢の偉業達成の約1カ月後、11月24日付けの「デイリーメール」の第1面をロレックスの全面広告が飾るという、前代未聞の出来事があったことは事実であり、当時のロンドン市民を驚かせた。

その広告費用は4万スイスフラン(1600ポンド/当時の日本円に換算すると約270万円)ともいわれている。ハンス・ウイルスドルフがここまでの筋書きを予測していたかどうかは謎であるが、グライツ嬢がドーバー海峡を渡る以前から、売れるまでの筋書きが用意されていたのかもしれない。 pw131_080

ロレックスのこれまでの歩みを振り返るとおわかりのとおり、オイスターケース、そしてパーペチュアル機構の開発以来、「世界」は時計の性能を試すための実験室となっていったと言っても過言ではない。

2019年にロレックスは「パーペチュアル プラネット」というプロジェクトを立ち上げたが、この原点はグライツ嬢によるドーバー海峡横断という快挙だったと言っても過言ではない。

未知の世界に挑む探検家たちを支え、そして地球上で最も過酷な場所に自社の時計を同行させてきた。おそらくハンスは、世界中の様々な自然環境を「実験室」と捉え、その世界の先駆者たちとの結びつきを強くすることで情報を得て、その情報を時計開発につなげ、各分野における改革者となろうと考えたのではないか。 

例えば1915年にハンターケースを二重にした防塵ケースを発明しているが、そのモデルには「サブマリーン」というペットネームが与えられていた。その名から推測するに、この頃からハンスは過酷な環境に耐えうる時計の開発を目指していたのではないか。

その成果のひとつとして1926年に防水のオイスターケースを完成させたということだろう。もっとも、これはハンスの野望の単なる第一歩でしかなかったのだと私は確信している。 

なぜなら、当時ハンスはイギリス王立地理学協会とも関係を深めていたからだ。

同協会は、エベレスト研究のスポンサーを募ることを最大の目的とした「エベレスト委員会」の設立を主導した組織であった。つまりハンスは、その時点ですでにエベレストを絡めたマーケティング戦略を描き始めていたのだろう。 

1933年3月4日、スコットランドの貴族、第14代ハミルトン公爵ダグラス・ハミルトンが複葉機に乗り込み、エベレスト山頂の上を飛び越えるとともに、史上初めてエベレストの空撮に成功した。

これによって世界中の人々が、世界最高峰「EVEREST」の名を知ることとなる。当然この偉業はスポンサーであったロレックス社にとっても最大のマーケティングチャンスであった。 

同社は1935年、初めて「EVEREST(エベレスト)」の名を刻んだモデルを発表する。

これが1953年、エクスプローラー誕生のプロローグとなったのは言うまでもない。 

そしてそれは、1888年にアメリカで設立されたナショナル・ジオグラフィック協会との関係を結ぶ第一歩となった。翌1953年、人類がエベレスト登頂に成功したのを受けて、1954年、ロレックス社と同協会はパートナーシップを結ぶ。

これにより彼らは、アメリカという大きなマーケットに隠れた最大の謎を知ることとなっていくのだ。