2025年11月19日

パワーウオッチ”謎解き物語り”ロレックス エクスプローラーの謎解き物語り完結、今月よりカルティエの謎に迫る


1904
年11月12日、アルバート サントス・デュモンが機械式の飛行に初めて成功した。
『his flying machine had flown 75, 128, and 142 yards, decided to return to his starting point by going against the wind. For thirty yards the motor ran along the ground, then suddenly it rose to a height of about five yards, and appearing like a great white bird, it soared half-way down the course. M. Santos Dumont, startled by some spectators in his way, twisted his rudder quickly, and the machine came heavily to the ground, damaging one of its wings. The experiment, however was a triumph for actual flight was achieved; and it seems as though it were only a matter of time for the conquest of the air to be accomplished. The 235 yards were traversed in twenty-one seconds.”』
この事実は上記の記事と共に写真が付けられ世界全土を駆け巡った。その偉業に立ち会った唯一のサントスの永遠の友となり、後、ジュエラーでありながら世界最大の時計メーカーの一つとしのストーリーを現代まで続く軌跡を創造した偉人、

ルイ・ジョセフ・カルティエ”

記事の内容どおり、この偉業はルイ・ジョセフの偉業となり、資本というより、サントスデュモンの夢を感じとり、その飛行している彼を見た時、空を羽ばたく大きな白鳥のように見えたという。その姿を見て、彼はこの夢を現実に一緒に成し遂げたいと思ったという。そして235ヤードを21秒で飛行したことは紛れもない事実で、そのサントスの決断こそが、彼の真実の時計のストーリーとなっていくことは云うまでもない。

 

私が、カルティエと出会ったのが、2010年頃にロレックスの真偽の謎を解くために世界中を駆け巡っていた時に、ロレックス以外に偽物が多いことを知ったのが、何を隠そう、カルティエであった。当時、タンクが人気を博し、カルティエが独自の金メッキの技術の特許をとり、文字盤にも様々なデザインもあることで世界中に偽物か蔓延していた。その中、一本のジャガー社とカルティエのwネームが1940年頃のクロノグラフを手に入れたことをきっかけにこの一本の時計と向き合うことで、ジュネーブのカルティエに足しげく通ったことを思い出す。この時計からカルティエの技術者と仲良くなり、80,90年前の時計から80年前のタンクまで、真偽鑑定とコンプリートサービスをお願いし、このジャガー社とカルティエwネームの一品ヲカルティエにもっていき、真偽をして頂いたが、コンプリートサービスのして頂くの、一緒にジャガー・ルクルトに案内してくれたことを思い出す。そしての一品は真偽てを終え、本物としてコンプリートサービスを終えた。その一本から始まる壮大なカルティエ。特にジュエラーとして時計産業に見いだした。ジョセフ・ルイ・カルティエの時計に対する壮大なロマンのストーリーをお届けしたい。