2025年10月

2025年10月日本ロレックスにてOH完了.完全本物保証 ティファニー1675GMTの謎に迫る


チャールズ ルイ ティファニーが1837年9月にブロードウェイにオープンしたティファニーストアー。世界一と誇るジュエリーブランドはここから始まった。しかしティファニーが追い求めた真実はタイムピースにあったとも言われ、その拘りは、1861年にスイス ジュネーブに建てた工房を拡大する為に、1874にジュネーブ コルナヴァンに類をみない大規模な時計工場を設けた。同時ニューヨークのユニオンスクエアーははーの中でも老舗のメーカーであり、1840年の終わり頃からパテックフィリップ社から機械を購入し最高のタイムピースを作るようになる。しかし1878年には、ジュエラーとし゛ての威厳を保つ為にマニュファクチュールから撤退、工場をパテックフィリップに売却した。
そんなティファニーだからこそ、ジュエラーとして時計販売には強い意思を持ち、各スイス時計メーカーと販売タイアップをしていった。ロレックスとは1950年頃から始まり、1990年にはロレックスとの販売タイアップを終了させているが、ロレックスのモデルの場合もロレックスから仕入れた時計のダイアルに独自の”TIFFANY & CO”の刻印を印字し販売を行った。
当然、現代において、そのTIFFANY & COの印字のあるものは通常のモデルより市場価格が上がり、プレミアのつているものもあることで、偽物ダイアル業者が寸分くるいも無く、本物として売る販売業者も増え、市場は偽物と本物との境がつかなくなった。更に日本ロレックスはその”TIFFANY & CO”の文字だけを後印したものでもコンプリートサービスを受け、尚更、市場にティファニーの真偽性を知らないままWネームとしての偽物も増えていった。一言で言えば、日本ロレックスはそのダイアルがティフアニーで売られたものかどうかを真偽することは出来ないのである。何故なら彼らは前頭にお話しした通り、1990年にロレックスの代理店契約を解消していることで、ティファニーと揉めることば絶対に避けなければならないということである。ロレックスはそのダイアル自体がロレックスの純正であり、夜光部分がコンプリートサービス時に針やインデックスの夜光部分が脱落する可能性のある状態かどうかで針、ダイアルの交換か否かを決定している為、その個体がティファニーで販売されたかどうかはアーカイブとして残ってはいるが決して公表することはできないのである。ではティフアニーダイアルの真偽性を問う方法はあるのか….2023年よりロレックス本社ジュネーブ内でNFCカード導入、更にNFTへの参入表明をきっかけに変貌した。そこには今までのように、真偽性に関して問う内容はロレックス社から書類は一切なくなった。その意味とは……

 

ランデロン物語。廉価盤とは言わせない。世界初カム式クロノグラフ搭載18金無垢耐磁モデルエクストラ ”SILVER”


 

1873年、シャルル・アルフレッド・ハーンとエメ・オーギュスト・ハーン兄弟がCharles Hahn & Cie(シャルル・ハーン社)を設立します。1875年にシャルルが亡くなると社名をHahn Frères et Cie.(ハーン・フルーレ社」に変更。経営は息子のシャルルが引き継ぎ、1898年に再びCharles Hahn & Cie.名に戻しました。彼らは独自の時計とムーブメント製造を開始し、1880年代にはヨーロッパ各地で品質により数々のメダルを受賞しました。特に女性用小型ムーブメントが得意でしたが、その後方向転換を遂げます。1900年のパリ万博でも時計機械メーカーとしてのメダルを獲得、世界中にその名が知れ渡り、第一次世界大戦では、スイスの時計産業はほとんどのブランドに部品を供給することで大きな利益を上げました。戦後の好景気で男性用腕時計の需要が高まると、ランデロンはスイスを代表するエボーシュ供給メーカーを引率する立場となり、1793年に世界最古のエボーシュ製造会社として誕生したFontainemelon(フォンテーヌメロン 社)と1925年に合併し,1926年、持ち株会社Ebauches SA(エボーシュ社)が創設されると、ランデロン社も1927年に統合し、エボーシュ社の中、最大企業の一つとなり、1930年代に入り世界大恐慌の不況のあえぐ中、1937年に世界で初めてのカム式クロノグラフ”キャリバー48”を開発、それまで技術をより必要としたクロノグラフの心臓とも言われるピラー部分をカムという簡易的パーツの開発、移行することで、より量産型として生産を可能とし、それまでの高価であったクロノグラフエボーシュをより廉価盤として供給かすることに成功すると、ブライトリング、ホイヤー、シーマなどのクロノグラフを基盤とする高級時計メーカーからも受注を受け、更に時計メーカーでないジュエラーが自社のモデルを制作する場合のサプライヤーとしてスイス政府が基盤となったクロノグラフスイスが誕生すると、そのエボーシュとしての役割を担い、今世紀最大の利益と富を生み出した。1961年には、スイスで初めて電気式時計ランデロン1450を発表。1967年、エボーシュSAの拠点がランデロン社に移ると、Dynotron 9150を発表。セイコーなどがクオーツを発表することで、機械式から時代がクオーツに移るとランデロンは1970年に機械式クロノグラフ(Landeron 48シリーズ)の生産を終了し、1983年に完全閉鎖されました。ご存じ、バルジュー社の7750などのカム式は全てランデロン48キャリの思考技術がベースとなっており、フォンテーヌメロン社は、ロレックスが時計会社”Veuve de Philippe Huther/ヴーヴ ドゥ フィリップ ヒュンター”を引き受け、1936年にチュードルSAとして最スタートさせた時からメインキャリとして、更にオイスターウオッチカンパニー、マルコーニなど、ロレックスが廉価盤メーカーを立ち上げと同時にエポーシュとしてロレックスに提供していたことは言うまでもない。

 

幻のゼニスの最初期の腕時計クロノグラフ ハンタートレンチ18金無垢ケース クロノグラフ登場


1865年ジョルジュ・ファーヴル=ジャコがル・ロックルに創業し、当時、ルクルト、ロンジンと並び、世界三大マニユファクチュールとして、自社ムーブメントに対して徹底した開発への魂を注ぎ込んできたゼニス。1969年、ホイヤー、ブライトリング陣営による世界初自動巻きクロノグラフ”CAL.11”の開発より3ヵ月遅く自動巻きクロノグラフ”エルプリ/3019CH”を開発したが36000振動という高振動自動巻きクロノグラフは当然実質上自動巻きクロノグラフの世界では最高峰となる。 しかし、ゼニスに関しは、クロノグラフの生産は全てサプライヤー生産となる。エルプリに関しても、クロノグラフの巨匠と呼ばれたモバドを買収する形でクロノグラフの生産性を自社に取り込んだことはいうまでもない。時を返せば、1891年にクロノグラフを開発したエクセルシオパークとも後、エクセル名機となるキャリパー4の誕生により、ゼニスの143系クロノグラフが誕生していく。1958年にはユニバーサジュネーブ社にクロノグラフを提供していたマテール社から見受の話があったことで、1959年にマテール社と手を組むこととなり、ゼニスは自社でクロノグラフの生産に成功した。
そんなゼニスも当然、1920年代に初のクロノグラフとなるタイムピースを生産している、それは懐中時計の様相を醸し出し、開閉式のハンターケースのトレンチ。文字盤は腐食しない経年の焼けが全くないポーセリングを採用している。1920年代ということもあり、40MM近い大きなケースを採用している。今回の逸品を見てみよう。39MM近い18金無垢ケース、1920年代の特長であるラグの部分は脱着できないハメゴロシと呼ばれるピンがケースにダイレクトに留められている。特に今回のケースはラグ部分が、ケースの内側にあることで、ハメゴロシとなるラグピンが湾曲しなければ、ストラップにとりつけることが出来ず、今回のラグピン部分を見ても、かなり大きく湾曲している。クロノグラフのスペックは30秒積算計に60秒に永久秒針を3時位置に配している。当然、スタート、リセット式のワンプッシュクロノグラムラフということもあり、キャリバーはパルジュ22、正式に機械のテンプ位置にキャリ番号の刻印がないことで、GHTキャリとなる。文字盤はピュアホワイトの陶器製のポーセリング文字盤で、特有のヒビは全くなく状態としても、ケースに小さな打痕があるが、100年以上経っているが状態は完ぺきと言っても過言ではない。