エベレストが“世界一高い山”として人々に認知されるようになることを大きなマーケティングチャンスと捉えたロレックス社は、1930年代以降、“エベレスト”、“オイスターアーミー”というペットネームを冠したモデルを次々と発表していく。
Ref.2914をオリジンとし、その後、“オイスターアーミー”として知られる4647、5055などだ。
“エクスプローラー”が誕生する以前、“オイスター”は過酷な環境にも耐えうる絶好の戦略アイテムだったに違いない。
これを大きなマーケティングチャンスと捉えたロレックス社は、ただ完成までに様々な試行錯誤があったことは想像に難くない。
その後、同社はエベレストはもちろん、すべての過酷な環境で通用するスペックを模索するようになる。
こうして生まれたのが“エクスプローラー”ではないか。
ロレックス社は、過酷なすべての環境に通用するスペック=エクスプローラー、として位置付け、“ローラーケティング戦略”をしていこうと考えたのではないだろうか。
1953年5月29日、ジョン・ハント卿を隊長とするイギリスの遠征隊がオイスターパーペチュアルを携行し、エドモンド・ヒラリー卿とテンジン・ノルゲイらのアタックチームがエベレストの世界初登頂に成功したことはよく知られている。
しかしその前年にはスイスの遠征隊がエベレストにアタックしていた(途中で断念)。
スポンサー契約を結んでいたロレックス社としては、初登頂のタイミングで“エクスプローラー”を発表したかったに違いなく、そのため1953年以前にも“エクスプローラー”の名をもつモデルが存在しているということだろう。
さて、話を1953年のイギリス遠征隊に戻すと、その折にロレックス社が貸し出した腕時計は、かつてはエクスプローラーだったといわれていた。
しかし実際に携行されたのはほかのモデルだったことがわかっている。
同社のホームページで公開されている“エクスプローラーの歴史”のなかで、オイスターモデルの画像が大胆にアップされているが、そのモデルは6298である。
彼らが実際に使用した時計かどうか明確な記載はないものの、赤で記された“Official”の文字が示すとおり、“公式品”として提供された時計であったのは明らかである。
そのことから、急遽“エクスプローラー”の名をもつモデルとして誕生させたのではないか。
なお、6098や6298には白文字盤やシャンパン文字盤、さらにコンビモデルも存在している。
また6150にもあったことは間違いなさそうだ。
初期タイプのケースでは“6350”の刻印を横線で引き、“6150”と刻印し直しているものがあるほか、オールローマ数字インデックスのノンエクスプローラー仕様もある。
そして最後に“6350”。
だが、このモデルはほかとは明らかに異なる部分がある。
それが“夜光塗料の塗布の仕方”だ。
スポーツモデルの唯一の欠点は、どんなに夜光が強くても経年により飛散してしまうことである。
この欠点を克服するために、6350ではインデックスの夜光アワーマーカー部分に型を入れ、それ以外にブラックのメラニン加工を施し、文字盤に型を抜いてできた凹みにより多くのラジウム溶液を流し込む方法(特許ナンバー 80551)を採り、ほかのモデルよりも高い発光力を実現した。
6350、6610、そして1016の初期個体で、夜光のアワーマーカー部分が凹んでいるように見えるのはそのためだ。
ラジウム夜光が経年により乾燥し、水分が抜けることで陥没したように見える。
つまり逆に夜光が盛り上がった個体は、リダンである可能性が高い。
これらの事実から、“6350”が最初のエクスプローラーとして誕生したことは間違いない。




