
シンプルでありながら、より均整のとれた紋章にストレート秒針、そしてべセルに深く刻まれた太く力強い墨黒の存在感、それは全ての始まりであのかもしれない…エクスプローラー2リファレンスナンバー1655伝説マーク1。1971年というストーリーを刻み、やや色褪せたオレンジ針にほどなく経年の色合いが全てが当時のままであり、ノンポリッシュという存在を完璧なまでの状態としてこの逸品を導いている。 それは誇り高き1575という存在によりエクスプローラー1から進化し、2というプロセスを19800振動の魂として語り続けている
1971年、それは自然の驚異なるすべての過酷な環境の中で耐えうるべく探検家の為に創造された特別というエクスプロイラーという存在を上回り、ベゼルが決して回らない24時間表示のベセルにその存在価値を見出し、三角針にトリチウム夜光を塗布したこれほどにないデカさのオレンジ三角針を装備することで昼夜”デイ&ナイト”の見極めの苦しい洞窟探索などに適したモデルとして誕生、1971から1978年頃まで数々の洞窟や地下水路を発見した”ジャン・フランソワ”、 そして地質学者、火山学者として世界に名を馳せた”タジエフハルーン”を広告の宣伝媒体としロレックスのマーケティング戦略の成功への軌跡となるはずであったが、その洞窟探検という見出しを強く宣伝媒体とした為、狭き用途という意味あいを持たれ、その後、売れ行き不振という現実の中、映画俳優であるスティーブマックイーンが好んでこモデルを愛用していたことでそれを広告媒体ともし、更にグルノーブルオリンピックで3種目すべてを優勝し、世界選手権では6個の金メダルなど”キングキリー”と異名をとったアルペンスキーの王者とも呼ばれた”ジャン=クロード・キリーがロレックスの時計を愛用していたことで、1655までをもそこに関連づけチラシの見出しに大きく載せたが、その当時$455というその後のひとつの伝説となるモデルの真実は結果、敗北となる結果に終わったのも事実であった。
その出生の秘密も、オメガと最後まで戦った1969年のアポロ月面計画のオフィシャルウオッチ争奪戦のロレックスの敗北により、公式認定となったオメガのその後の勢いに対抗して発表、特にオメガから同年に発売されたフライトマスターを意識し、1016の存在する中、は無理矢理に創られたのではないかとも言われるようにその出生の秘密は明らかではないが、その分、他ロレックスモデルには全く無い、言わばロレックスらしからぬ斬新なデザインとして、更に13年間という製造期間の中で、エンブレム、針、ベゼルのデザインを4回ものマイナーチェンジとして行い、”1655エクスプラーロー”独自の特別な世界を創造したこととなった。




