2026年01月11日

唯一、ウッド(木製)を文字盤とケースに使用することを可能としたモデル時計史に残る名機..カルティエ タンクRef. 20611


1904年11月12日、アルバート サントス・デュモンが機械式の飛行に初めて成功した。
『his flying machine had flown 75, 128, and 142 yards, decided to return to his starting point by going against the wind. For thirty yards the motor ran along the ground, then suddenly it rose to a height of about five yards, and appearing like a great white bird, it soared half-way down the course. M. Santos Dumont, startled by some spectators in his way, twisted his rudder quickly, and the machine came heavily to the ground, damaging one of its wings. The experiment, however was a triumph for actual flight was achieved; and it seems as though it were only a matter of time for the conquest of the air to be accomplished. The 235 yards were traversed in twenty-one seconds.”』
この事実は上記の記事と共に写真が付けられ世界全土を駆け巡った。そしてこれをきっかけに彼の友達であった当時フランス貴族達愛用のジュエラーとして名を馳せていた”ルイ・カルティエ”が時計を考案することを誓った。当初それは女性用のポケットウオッチに紐をつけることで飛行しながらも時間を確認できるといういわゆるリストバンドウッチを開発、それは1906年の新聞の記事の写真からもわかるとおり、当時既にルイ・カルティエは腕時計を考案したことになる。それは評判を呼び、1909年に完全なる腕時計としてのプロジェクトが組まれ、そこにブジェクトリーダーとして参加したのが、エドモンド・ジャガーであった。当然それは1910年に”カルティエ サントス1904″と名付けられ、大成功を収めた。これをきっかけにルイ・カルティエは、ジャガー社の時計のフランス国内での独占販売権を獲得、当然リテイラーの影響が強くメンズとしての時計への位置づけが未だ確率していない時代、このカルティエとジャガー社との契約はジャガー社にとっても最高の名誉ともなったことは間違いない。
そのエドモンド・ジャガー軌跡の裏にはもうひとつのストーリーが…….

 

グリュエンは何故エグラー社とロレックス社との関係を突然断ち切ったのか? カーベックスが謎を解く

その凄まじいほどの妖美な紅に染まるウエスト23mmに長き41mmの湾曲したボディーは、ジオメトリックな様相で、見た物すべての脳裏に刻まれ、忘れえないほどの威圧感が感じる。その14金無垢レッドゴールドと呼ばれし希少な存在、ピンクよりもローズよりも赤く染まり、パテック、ロレックス、ヴァシュロンであってもこの存在自体には及ぼないかもしれない。文字盤もサーモンピンクの純正文字盤、リダンの全くない最高の40年代からのこの一品のストーリーとグリュエンがいかに角型の名手と呼ばれるようになったかを理解した時、あなたはこの一品のとりこになるばずである。カーブドキャリバー440、18000振動17石の湾曲ボディーが、更なるこの一品の魂をかんじさせてくれける。 1920年頃からスイス、ビエンヌに工場を設立し、1925年キャリバー117の開発により角型のマニュファクチュールとしてアメリカを代表するブランドはスイスへとその軌跡と野望は広がり、角型での開発では一目置かれる存在となった….