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Heuer Monaco The first model Mark.2 Ref.1133G Cal.12 The first Auto Chronograph and Water Proof Square Case / ホイヤー モナコ ファーストモデル マーク2 世界初自動巻きクロノグラフ&世界初角型防水ケース 入荷


On October 24, 1971, Jo Siffert met his tragic fate. During the World Championship Victory Race at Brands Hatch, his BRM P160 lost control at Hawthorn Bend, crashed, overturned, and burst into flames. Siffert was unable to escape. He was only 35. Fifty thousand people attended his funeral in Fribourg. In 1968, Siffert became an official Heuer ambassador. After Heuer created its pioneering automatic chronograph in 1969, two legendary watches were presented to Siffert and his friend, Hollywood star Steve McQueen: McQueen received the Monaco, while Siffert received the Autavia—a watch that embodied the very history of Heuer.

 

1971年10月24日、その運命の時を迎える….
ブランズハッチで行われたノンタイトルF1レース”ワールドチャンピョンシップ ビクトリーレース”でポールポジションから出遅れ、4位追い上げた15周目、シフェールのBRM・P160はホーソンベントてコントロールを失い、コース脇の土手に衝突、横転し炎上したマシンから脱出出来ず帰らぬ人となった。35歳、故郷フリブールで行われた葬儀では5万人のスイス国民が参列した。
彼は1968年オフィシャルスペンサーとしてホイヤーと契約、1969年、ホイヤーが世界初のクロノグラフの開発に成功すると、友でありハリウッドスターの”スティーブ・マックイーン”と共に二つのモデルが手渡された。スティーブにはモナコ、そしてシフェールにはホイヤーの歴史そのものと言われる”AUTAVIA/オウタヴィア”が手渡された。

 

 

 

 

20世紀最大の出来事となった人類を月に行かせるという最大のイベントの中で、宇宙船の計器が全く作動しなくなった時の対策として時計を命綱として考えたNASAの時計メーカーとのオフィシャルスポンサード選定は、マーキュリー計画の中で各パイロットがNASAの用意したモデルの中で個々の意思で使用することを主に置きその中で最初の選定を行うことを実施。その後、各パイロット達の使用状況や結果により、振るい落とされた最終選定は、ロレックス、ロンジン、オメガとなり、1964年までの過酷な最終テストはオメガとの契約として幕を閉じることとなった。
当時アメリカにいたホイヤー社の後CEOとなり名誉会長となったジャック・ホイヤーは、その選定での現実をいち早く知り、ワックマン設立の立役者でもあったジョルジュ・カルパリ(ブライトリング広報担当)との出会いにより当時のブライトリングCEOである”ウイリーブライトリング”と出会うこととなり、この現実を告げ、特にマーキュリー計画上での選定の中でいち早く選定から外されたブライトリングにとっては衝撃的であり、1969年に月面に人が降り立つという20世紀最大の出来事となるNASAとのスポーンサード契約が決まったオメガの一人勝ちとなるオメガの市場を阻止する為に、ウイリーブライトリングに世界初なる自動巻きクロノグラフを1969年までの開発、アポロ計画の1969年に発表することを目標とした開発を持ちかけ、1964年デュボア・デボラ、ハミルトンを巻き込み、そして一番難題となったクロノグラフ機構に自動巻きを搭載するという現実にクロノグラフ機構の中に自動巻きの機構を取り入れることを考え、その技術として当時、マイクロローターの技術を確立していたビューレンにその開発を担い、1969年に世界初自動巻きクロノグラフを発表、キャリバー11”が誕生した。
そしてそのキャリバー11は、当時、計器としてホイヤーの歴史を築いてきた最大のモデルであるオータヴィアに搭載。そして逆に新しいモデルをも発表。モナコ誕生である。
しかしそれは世界で始めての防水角型時計の開発を試みたこととなり、一口に並大抵の労力ではなかった。早速、ジャックは、当時パートナーとして組んでいたケースメーカーの”ピケレ社”と組み、開発に当たったが、当然防水としてスクリューバックとしては無理。スナップでは本当の意味で防水を可能には出来ない。そして考えたのは2つのインナーケースとアウターケースを重ね合わせその間に厚手のパッキンを入れ、防水にすること。それはインナーとアウターが重なり合う微妙なずれも許されない高度な技術が必要とされた。まずは、当時、誰も成しえなかった2つのステンの塊を正方形に貫き、それも、CNC旋盤機が無い時代に、微妙なずれを1㎜の誤差も無くしみごと作り上げた。しかし、右に配するクロノグラフの2つのプッシャーと左に配するメインクラウンをスムーズに操作する穴をインナー、アウターケースにひっかかりも許されない穴を開けなければならない。当然現代のように旋盤機が無い時代、スタンピングで穴を開ける方法しかない。そしてそれはアウターをU字型にくり貫くことにより成功した。そして1968年にモナコ第一号が完成し、 1969年に発表。同時にジャックはマーケテイング戦略として、レーサーであった”ジョーシフェール”と、アメリカの俳優でありレーサーでもあった”スティーブマックイーン”二人にオータヴィアとモナコをプレゼントすることにした。スティーぶがジョーシフェールに先に選ぶことを促し、ジョーシフェールはオータヴィアを選び、モナコをスティーブが譲り受けることとなり、スティーブが主人公となった映画『栄光のル・マン』上映の翌年、”ジョーシフェール”はレース中の事故でこの世を去ることとなった。それ以後スティーブは彼との思い出を大切する中で、彼とジャックから譲りうけたモナコを永遠に腕にはめ続けたという。
その1969年に発表されたモナコに与えられたリファレンスがRef.1133である。そしてそれは青きブルー文字盤であったが、1970年にシックでより大人の色気を感じさせるグレイ文字盤としたイニシャル”G”が与えられたRef.1133Gが発表された。
今回ご紹介する逸品はそのモナコファーストモデルであるRef.1133のグレイ文字盤となる1133Gであり、希少過ぎる一品である。当然、世界市場から消えた存在としてモナコ1133Gは伝説となり幻化になってしまったモデルである。機械は1970年にローター部分が改良された”キャリバー12″を搭載。クロノグラフ完全稼働、零帰ポジションは完璧。当時のままの状態でお届けしよう